ミュージシャンが好きなのか、音楽が好きなのか。時々このような問題が噴出します。

ミュージシャンとしては音楽を聴いてほしいのに、音楽をろくすっぽ聴かず自らと寝ることをステータスとされていてはいい気分ではないかもしれません。握手会やお渡し会にだけ現れるファンに頭を痛めるミュージシャンもいるかもしれません。

ミュージシャンとしては音楽を受容してほしいのですが、ファンが受容しているのはパーソナリティそのものですから、ミスマッチです。自らのパーソナリティとしての魅力に自信を持つなり、音楽の魅力のなさを反省することも出来ますが、そんな次元はとうに過ぎ去っているわけで「俺の音楽を聴けよ!」と問題が顕在化するのです。

ミュージシャンの受容してほしいあり方とファンの受容したいあり方のミスマッチが問題なわけですから、その差を歩み寄れればいいのですが、何かを好むのは感覚の話です。好きではないものを好きになるのは難しい。

ファンは好きでない音楽に熱狂するフリをすることができます。現実的によくあることだと思われます。それに、段々好きになってくることもまったく尋常です。

ミュージシャンは自らの音楽の受け入れられなさに打ちひしがれ、あるいは自らのパーソナリティとしての魅力に自信を持ちファンの受容する姿を演じることで解決を図ることも、まったく尋常なことです。

ところで、ミュージシャンに限らず 自己のセルフイメージと周りからのイメージのギャップに悩むというのは、よくあることです。「アイドルじゃなくて俳優だよ!」「もう子供じゃない。大人よ!」。周囲のイメージを受け入れるのが大人であり、解決の仕方として穏当です。

さて、ミュージシャンとファンの関係においてはどうでしょうか。

筆者は、ミュージシャンに限らずファンは、熱狂的で狂信的なファンであればミュージシャンの望むファンになることが、理想だと思っています。ミュージシャンはワガママであってほしい。物分かりのいいミュージシャンなんてつまらないではありませんか。

初出:note(2017.05)