イルカショーを見た。イルカは芸をしてエサを貰う。芸を見て客は喜ぶ。オキゴンドウイルカとミナミバンドウイルカ数頭が跳んだり、歌ったり。だいたいをフームとぼんやり見ていたのだが、貰ったエサを食べずに吐く芸は笑ってしまった。面白かった。
ただ、なんとなく素直に楽しめなかった。考えすぎだと言えばそうだが、イルカに失礼なことをしているのではないかと思ってしまう。イルカは幸せなのだろうかと。
われわれはしばしば想像をする。人間がほかの生物に対して、人間には到底できない仕打ちをしているのではないかと。檻に閉じ込め、見世物にする。しかも罪の意識は全くなく。
その想像は、時にフィクションで描かれる。人間が他の生物に飼われるものとして。あるいは人間が飼う生物を擬人化した形で。
前者はディストピアの形を取る。飼われている状況が悲惨なものとして。そもそも好奇の目で見られること自体が可哀想なことだと、読者の共感を得られると思って描いているのだろう。ここからストレートに「ではなぜそのようなことを生物に対してしているのか」との問いがうまれる。
後者はコメディの形式で見かけるように思う。擬人化した生物が人の要求に対して従いつつ、なぜこんなことをとシニカルな目線で自らの境遇をボヤいたり、あるいは(野生と違い)餌を取らなくてもいいので楽だと言ったり。
しかし、事態はもっと複雑なのではないか。例えば水族館で生まれたイルカが、親もショーの花形キャストで、親の背中を見て、人間の要求に応え観客を楽しませることを自らの喜びとしていることも、ないとは言い切れない。野生を知らないからではない。野生と水族館を比べてそう思う個体もいるだろう。必ずしも野生が幸せで人に飼われていることが不幸せではないとは思う。
しかし……。
あるいは何も考えていないかもしれない。何も考えていないということが僕にはいまひとつ理解できないが、その可能性もある。
いいのだろうか。
まあ、いいか。動物だし。