ある種の二次創作と呼ばれるものは表現であるというよりも消費が可視化されたものなのではないか、と思うことがある。例えばそれは登場人物の百合描写であったり、ホモ描写であったり、ポルノ描写であったりとフェチと言えるもの。あるいは原作を補完したものであったり、設定であったりする(尚、パロディは今回とは違うものではないかと思う。いつかそのあたりも考えたい)。
であるからこそ、二次創作は法的な問題とは別に、隠れてコソコソするものなのかもしれない(もしかしたら、であるからこそそれが法規制を支える根拠なのかもしれないと考えているが)。
なぜか。
普段我々はなにを消費しているかを表さないからである。それも同人誌のように具体的には。
例えば「あのアニメ見たよ。よかったよ~」というのも感想だが、具体的ではない。「あのキャラクターが、苦境にも関わらずはねのけて処理するところがよかった」。「主人公の妹が勝ったときのためにケーキを用意してたんだけど、負けたとわかった瞬間に慰労のためにそのケーキを使うことにして、その切り返しと言うか、もともとそうでなかったはずのものが意味を変えて出された場面が好きだった」とか。これは今僕が適当に考えたものだが、具体的に何を消費しているかが言い表されている。しかしこれだけでは二次創作の同人誌たりえない(正確に言うと、こういった感想をまとめた同人誌もある。今回の文章の本旨ではない、という意味です。念の為)。ここから更に「そんな妹だから、例えば他の時、学校で友達が落ち込んだときとか悩みを相談する相手になってると思うんだよね~」このような空想をすることがある。その時我々はアニメ本編には描かれていないものを消費しているわけである。
このことは潜在的に秘め事になりうる可能性がある。なぜならば「そんなのはお前だけだよ」と思われかねないからである。「妄想だよ」と。また、消費の形がポルノに寄ったものであれば、そのような消費をしていることは尚更公言しにくくなる。
二次元キャラクターだからという面があるが、原理的には実写であっても変わらないと思っている。「あいつはエロい。裸を見たい」といった消費をしていることはありえる。また、二次元と同様に、あるいはそれよりも(?)そういった消費をしていることは公言しにくいのかもしれない。
ある意味で、同人誌に近い性質ではないかと思うのがアイコラである。アイコラとはアイドルの(写真の)コラージュのことで、裸の写真の首から上だけすげ替えたり、まるでアイドル自身の裸を見ているかのようなものである。対象をそのように見ているという消費がまさに顕現している。
ポルノで考えればわかりやすいが、視聴者が消費しているものが具体的になることは消費される側にとってストレスになる可能性に満ちている。加害にさえ容易になりえる。
消費することは消費される側にとって、必ずしもありがたくない。これは重要なことで、例えば消費されることが仕事でない一般の人のことを性的な目線で見ていたりしたら気持ち悪いと思われるであろう。消費される仕事の芸能人であれ、そういう消費のされ方は嫌だと思うことはいたって当たり前のことだ。
尤も、同人誌の場合(それもポルノでない場合は)、消費される側(つまり製作者のことだ)がやめてくれと言い出すことはあまり多くない。ところが別の消費者から嫌悪が表明される。こういった場合の消費者による「著作権侵害である」との指摘は著作権侵害であるかはどうでもよく「その消費の形は気に入らない」といった類ではないかと僕は思う。
ひらたく言うと「そんなふうに見ないで!」ということで、心のうちに秘めている分には問題ないが、どう消費しているかというのを表だって言うには問題があるということである。ましてや同人誌など、具体的な形をもって現れているのだから、それ自体が秘め事たりえる。