先日友人とカラオケに行った際に、お調子者で屈託のない友人が西城秀樹の「ターンAターン」を歌っていた。訃報が話題があったばかりだから歌うのはわかる。それにおたくだから、その選曲も理解できる。とはいえ、僕はそりゃないだろうと思った。別に僕だってファンというわけでないが、なぜその選曲なんだと思った。せめて「ブーメランストリート」か「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」ではないか、などと思っていたら次に「俺、布施明も歌えるんだぜ」と言い「少年よ」を歌っていた。なんという軽薄さであるかと感銘を受けた。『らき☆すた』で描かれていた(※)、僕の軽蔑するおたく隠しを彷彿とさせる(ちなみにその友人はおたくを隠してなど、まったくいないのであるが)。僕は「君よ抱かれて熱くなれ」や「悲しき友情」などを続けようかと思っていたのをすっかりやめて「北酒場」を歌うことにした(この選曲に特に意味はなく、僕はいつだって「北酒場」を歌うのです。好きだから)。ところで、その友人の一連の選曲は「一般人とカラオケに行った時におたくなので歌う曲に困るよね」的なギャグであったはずなのだが、一緒に行ったあと2人の友人はまったくそのような文脈を読み取っていなかったように見えて、滑っていたように思えた。

(※)『らき☆すた』におけるライトなおたくに対する批評性は特筆すべきだと思う。