知人が「星の王子さま」が(おそらく)好きで、よく「大切なものはいつも目に見えない」と言う。僕は格言を引用して悦に入っているその様がちょっとムカつくので「それは、その時「目に見えるけど大切なもの」を甘く勘定しているんじゃないの?」と言いたくなる。まだ言ったことはない(はずだ)。目に見える大切なものを無視して「大切なものはいつも目に見えない」と言うのならば、それは詭弁だ。

ところで、僕はこのセリフがどのような文脈で使われたのか知らない。「星の王子さま」を読んだことはあるのだが、面白くなくてあまり覚えていない。尤も、僕がそもそも物語(フィクションのおはなし」を読まないので「星の王子さま」が他の物語と比べて特に面白くなかったわけではないことを「星の王子さま」の名誉のために書いておきます。
なので「星の王子さま」を読んで冒頭のセリフがどのようなシーンで登場し、どのような意味を持っているのか知ろうと思います。

-この続きは読んだら書きます-

さて、読んだので続きを書くこととする。ちなみに「星の王子さま」はいくつか邦訳が出ているみたいだが、僕の読んだのは最もポピュラーだと思われる内藤濯氏のものである。以下引用は全て「星の王子さま(内藤濯訳、岩波書店、1962発行)」による。
まず「大切なものはいつも目に見えない」というセリフは、何回かこの物語の中で登場する。最初はキツネによって語られる。キツネは王子さまと仲良くなって、別れる時にキツネが言う。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ」

キツネは王子さまがバラの花を大切に想っていたことを指摘する。のだけど、その直前に庭に五千本植わっているバラに対して「君たちはただのバラだ。なぜなら僕と仲良くなっていないから」とだいたいこのような意味の言葉を吐きかけるので、王子さまが身勝手に思える。全くいいシーンではないと思った。五千本のバラたちもそれぞれ誰かの大切なバラかもしれないのに。そう思った(この場面以外にも王子さまが身勝手な場面はたくさん出てくる。行く星々で大人たちに満足するまで質問を辞めないところや、主人公の飛行士が話半分に聞いていたりすることを責めるところ。子供とはいえまったく身勝手である)。

つぎにくだんのセリフが出てくるのは飛行士と井戸を探しに行く場面。

「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ……」
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」

これは王子さまのセリフです。このセリフを受けて飛行士は次のセリフを言う。

「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」

これは飛行士の家に宝が埋められている言い伝えがあって、誰も探してはいないけど、その言い伝えのおかげで「美しい魔法にかかっているよう」だったという。これも物事の本質は目に見えないことの比喩なのだろうか。僕はこのくだりを読んで、勘違いや思い込みを励行しているのかな、と思った。このくだりのあと、飛行士は眠った王子さまを見てこう思う。

いま、こうして目の前に見ているのは、人間の外がわだけだ、一ばんたいせつなものは、目に見えないのだ……

「星の王子さま」では大人と子供が対比して語られる。王子さまと星々の大人たちや、特急の乗客。王子さまは大人たちのことをわからないし、わかろうともしない。それでいて次のように言う。

「子どもたちだけが、なにがほしいか、わかってるんだね」

王子さまや主人公である飛行士は大人を大切なものを見失った存在だと思っており、子どもを大切なものがわかる存在だと考えている。けど、僕はそれはそれで一つのちっぽけな独りよがりな考えではないかと思った。大人たちの視野狭窄を指摘しているようでいて、自らもまたそんな大人の一人でしかない。そんな物語に読めた。

初出:note(2017.04)