イングランド出身のロックバンド、ジェスロ・タルが僕は好きでよく聴いている。67年レコードデビューで、長いキャリがある。プログレッシブ・ロックバンドと捉えられることもあるが、「ジェラルドの汚れなき世界」「パッション・プレイ」がレコード一枚で一曲構成の作品だっただけで、基本的にはロックバンドといっていいだろう。シアトリカルなステージを繰り広げたこともあるが、堅苦しいわけではない。サービス精神が旺盛でひょうきんな楽しいロックンロールバンドだ。

そんなジェスロ・タルのフロントマンであるイアン・アンダーソン。彼は普通のロックバンドではあまり見ない楽器を手にしている。フルートだ。オーケストラでお馴染みのこの楽器をロックバンドで吹くことはあまり見ない。とはいえ実のところ、彼以外でも見かける。ジェネシスのピーター・ガブリエルや、キャメルのアンディ・ラティマーら、である。しかし、彼らの吹き方はオーソドックスなもので、オーケストラでのフルートの吹き方と同様なのではないか(詳しくないのでわからないが)。イアン・アンダーソンの吹き方は全く違う。声を発しながら吹いているのだ。時にブヒブヒ。これがなんとも猥雑で、ロックという感じがする。下品でカッコいいのである。似た吹き方はフォーカスのテイス・ヴァン・レールもしているし、先人にはローランド・カークがいるので、イアン独自のものではないのだが、あまり見ないのは確かだ。
ところで、なぜギターを弾いていたイアンがフルートを吹くようになったか(今も弾かないわけではないが、リードギタリストは別にいる)。インタビューで答えている。曰く「ギターの腕でクラプトンに敵わないと思ったから」だそうである。数ある楽器の中からフルートを選んだ理由は、インタビューの度に様々な表現しているが、大した理由はなさそうに思う。たまたまではないか。

さて、彼らのアルバムでベストはなんだろうか。僕はうんうん悩んで「ジェラルドの汚れなき世界」か「逞しい馬」まで絞り込んで結局選べない感じ。「ジェスロ・タル・ライブ」に「逞しい馬」が収録されていれば間違いなく選んだのになんで収録していないんだろう。

「ジェラルドの汚れなき世界」は当時コンセプトアルバムが流行していたことに反応して、イアン流の皮肉として作ったアルバムで、一曲40分のめくるめく音世界である(レコードであるためA面、B面に分かれているが実質的に一曲であると言っていいだろう)。当時のコンサートではこの楽曲を更に展開して1時間超えでこの楽曲を演奏していたというのだから全く恐れ入る。今でもブート(日本公演では新宿厚生年金会館のものが有名)で当時の熱気が確認できる。電話がかかってきて演奏が中断されたり、シアトリカルで愉快なステージであることが伺えるが、聴けば聴くほど、なんで当時生まれていないのだろうと思うようになるので聴かないほうがいいかもしれない。

「逞しい馬」は78年のアルバムで、前作と次作と合わせてトラッド三部作と形容されている。このアルバムの注目すべきところはなんといってもタイトル曲の「逞しい馬」である。トラクターに仕事を追われた農耕馬の悲哀を歌った歌詞、唸るエレキギター、客演のダリル・ウェイによるバイオリンが素晴らしい。イアンはこの曲でボーカルのほか、フルート、アコースティックギターと忙しく楽器を持ち替える。ライブでは馬の歩みをジェスチャーで表していて、なんともコミカル。そこもよい。

彼らの来日公演が2013年にあった。「ジェラルドの汚れなき世界2」を引っさげてのツアー。僕は、憧れのジェスロ・タルが見られるってめちゃめちゃ嬉しくなって、東京公演と追加の川崎クラブチッタへ行った。しかも「ジェラルドの汚れなき世界」の再現である。見ない手はない。

その公演を見て、僕はとてもショックを受けた。イアンの声が出ていなかったから。
いや、そりゃそうだよ。だって当時65歳だよ。そりゃ声も出ないよ。出なくても当然だよ。考えてみりゃ当然のことだ。だけど、めちゃくちゃショックを受けた。ちょっとかなり動揺した。一週間ぐらいずっと頭から離れなかった。

と、同時に「こんなに好きだったのか」と改めて気づかされた。ヒーローでいて欲しかったんだと思う。多分。僕の中でヒーローだったんだと思った。

声が出ていないことがまず第一にショックだったけど、もう一つショックなことがあって、ボーカルの代役がいたこと。ボーカルだけならいいんだけど、光るオブジェを持っていて(これはイアンがなぜフルートを吹くようになったのか、と聞かれた時にフルートのことを言い表したもの)、それをイアンがフルートを扱うように股間に当てがったり、振り回すパフォーマンスをしていた。これには相当ショックを受けた。それをするのはイアンだけだろう、他の人がやってもダメだろうと思った。やってたけど。あと、代役だけあって声が似ていて、それも僕に更なるショックを追い討ちしてくれた。ところで、今考えれば、声が出ないなら代役を立てようってのは、プロデューサーとしては全く合理的な判断だと思う。当時は受け入れられなかったが。

それと、歌声が出なくても、トークは普通に出来てて(イアンはいつだって饒舌に喋る)、歌声と、喋る声は違う部分で音を出しているのだろうか、と思った。あと、フルートを吹くぶんには問題なさそうだった。
一ヶ月くらいしてショックを忘れかけてた頃に、日本公演のレポートやら感想ブログやツイートを読んだら「イアンの声が出ていてよかった」とたくさんあって「みんなの耳は節穴か!?」と思った。だけど、その訳は後にわかった。日本公演を機にこれまで手を出していなかったDVDBOXに手を出してみたら、イアンの声は90年代から既に出てないでやんの。僕が一切スルーしていた期間(オリジナルアルバムは聴いていたものの、ライブ盤は80年代以降追っていなかった)に既にイアンの声は今と変わらなかったってわけ。それから考えれば今は驚異的に喉を保っていると言える。よかった。

いま一度、この文章のタイトルに目を向けると「大好きって割に、のめり込みが浅いな」と言わざるを得ない。でも大好きには変わりないし、いいかな。

初出:note(2016/12)